なんか、目覚めが近づいている…
なぜ?
なぜそう思ったのか?
理由1(理由というより、伏線?):
昨日見た動画(コチラ)により私にしてはめっちゃ早く寝て、今日は自然に6時ころに目が覚めた。
昨夜から雷雨が凄かった。
(雨降って地固まる、始まりはいつも雨、などのフレーズが頭をよぎる。)
理由2:ツイッターから、567倭区賃について興味を持ち(キッカケこちら)
関連動画を視聴し(その1、その2)
めいこさんを知り、チャンネルに飛んで動画を何本か視聴し(1・2・3・4・5…あ、やっぱり5本目だったか…そんな気がしてたけどやはり。)
その五本目を見終わった時に、愛用のウォークマンが目覚ましの曲を流してくれたのですが。
それがコチラの曲。
ほっほ~う?
これは…偶然ですか?
いやいやいやいや…
『この世に偶然なんてない』じゃん?
そう、そう…
そしてね、最近ずっと、考察したいと思ってた漫画。
理由3:進撃の巨人。
これは、自由を求めて戦う人類の話ですよね?
でも私はこれを読んで考えたことがある。
自由なんて、過ぎた代物なんじゃないかと。
豚に真珠。猫に小判。同様に、奴隷に自由。
洗脳完了済で自分で考えることができない者に『自由』など要らないのでは?
というかむしろ危険ですらある。
そんな風に感じた。
まぁ、まだ全巻通しで読み返せていないから色々と精査したいとこなんだけど…
一つ気になっていること。
なぜ、あの物語の世界は、この現実世界の逆さまに設定されているのか?
(太陽が西から昇る、文字がカタカナを逆さにしたもの、大陸も現実のアフリカの逆さま)
それは…もしかして、あの物語を通じて訴えていること、メッセージ…
それを逆さまに読んで欲しい
これは逆さまの世界
リアルは逆であってほしい
…と、そういう意図が…あったりはしないだろうか?
例えば、結局のところ人類の争いは絶えない、無くならない…だとか。
自由と自由がぶつかる→だから戦うしかない…だとか。
なんか…逆さまに描かれているという舞台設定…これ、何かしらの意図があってそうしたんじゃないのか?って気がして仕方ないんですよね
もしくは…鏡写しの世界?
鏡(この物語)を見て、自分のこと(現実世界)を顧みて欲しい…とか?
34巻、最後にスクールカーストのオマケ漫画で終わるじゃないですか。
でも、あれ、結局あの世界での未来(現在)だった。
ということは?
現実につながる話ですよ、っていうことなんじゃないの?
鬼滅もそうだったけど、最後で話が現代になって終わる。
これって、つまり、今の私たちに関係ある話ですよってメッセージだと思うんだよね。
正直私は学生時代、歴史とか全然好きじゃなくて、というかもう嫌悪していて大嫌いだったんだけど
大事だったんだなと。
歴史。
まぁでも学校で教えてるような歴史は真っ赤な何とやらだろうから学んでなくて正解?
あー、話がまたとっ散らかってきたんでこの辺にしときますかね。
もういい時間になってきちゃったし。(10:44)
一旦この話はここで終わります~
気が向いたらまた何か書きます
最後までお読みいただきありがとうございますv
See you next article! (^^)ノ
って思ったんだけど一個だけ追加!
進撃の巨人を読んで自由って危険、って感じたって書いたけど、
めいこさんの動画を見て、やっぱ大事だよなって思ったってことだけ、
これは書いとかないと!って今読み返して思ったので追記。
奴隷から目覚めて自由(周囲とも自然とも調和する)を謳歌するのが素晴らしい!って今は感じます!
グッバイ奴隷だった私☆
檻は自分で創り出していたんだねぇ
ではまた!
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